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表具の美を鑑賞する


「表具の役割」とは,端的に言えば「大切な書や絵画を保存し装飾する」こと。本紙(書や絵画)が主役ならば,とりわけ表具とは脇役でありますが,「本紙を生かすも殺すも表具しだい」とも言われています。また表具に必要な材料は「紙」「裂(きれ)」「糊」とシンプル。よって材質が表具の出来を大きく左右します。

そして国宝や重要文化財をはじめ先人から受け継がれてきた素晴らしい手本に接することで,表具を支える職人の感性が養われます。また京表具の特色として「オーソドックスな美」が挙げられます。それは「良質な材料」「素晴らしい手本で磨かれたセンス」「妥協を許さない職人気質」が三位一体となって生成した技法と言えます。

そんな奥深い「表具の美」を観賞するポイントをご紹介いたします。以下にあります各項目をクリックしていただきますと,右側にテキストがあらわれます。

(a) 表具とは?

(a) 表具とは?


表具の作業風景(於:宇佐美修徳堂)


本紙を書いたり描いた人格への尊敬の心を表現することが「表具」であり,たんに本紙(※1)を飾る付属品ではありません。

掛物表具を鑑賞するときのポイントは,

 1. いかに本紙を生かしているか?
 2. 掛けられる場との調和がとれているか?

さらには,表具に使われる表具裂(衣装)が,

 3. いかに本紙を生かしているか?
 4. その床の間につりあいのよいものであるか?
 5. 本紙に対して映りのよいものであるか?

以上のポイントを念頭において本紙を表具ごと鑑賞することで,美しい日本の床の間や世界に類を見ない表具の美を,心の眼で捉えることができます。

(※1)本紙 ... 巻物・掛物等で書画が描かれた紙や絹の部分

(b) 表具のはじまり

(b) 表具のはじまり

表具を語るうえで欠かせない掛物は,仏教伝来とともに伝わった仏画が,日本における掛物の嚆矢(こうし)といわれています。そもそも掛物とは,もともと仏画をはじめとする宗教的な内容に限られ,チベットから中国に伝わった壁画崇拝が,移動価値を高めるために持ち運び可能な形に変形されたものと伝えられています。

はじめは寺院や仏殿等にのみ掛けられていた掛物が,やがて宮廷や貴族の私邸にも掛けられるようになります。その後,日本の表具における大きな流れは,平安末期,臨済宗の開祖・栄西によって宋から伝えられた禅宗の興隆によってもたらされます。鎌倉・室町時代には宋や元の禅僧の描いた絵画や墨蹟が大量にもたらされ,これにともない宋の表装の様式も伝わりました。

この宋式の表装は,書画の品等を定め,これに準じて表装の様式を決められていました。表装を「裱褙(ひょうほえ)」と呼ぶ宋音が伝わったのも,この頃。今なお日本で大切な掛物の表具に「裱褙」という語句が使われるのは,宋の表装が礼拝物であった掛物にふさわしいと考えられたためと考えられています。また,当時,こうした表装の流行により,「へうほうゑし」という表具専門家も生まれました。

足利将軍が名を馳せた室町期の東山文化においては,義満・義政らが同朋衆と呼ばれる文化的知識人に,収蔵した大量の書画を選別させます。後に「東山御物」と呼ばれる文化的な遺産は,もともと信仰対象であり礼拝物であった掛物を作品として選別・評価しはじめたことで,芸術的鑑賞の対象へと変貌を遂げました。

また室町期には,同朋衆らにより書院の茶・殿中の茶の形式がつくられ,こうした茶式の成立が,「真」「行」「草」といった表装形式の創造へとつながっていきました。

(c) 表装と場との調和

(c) 表装と場との調和

掛物は,環境や目的によって,表具を構成する寸法や表具裂(衣装)の取り合わせなどが異なり,飾り方についても建築様式と密接に結びついて変遷します。

たとえば,足利将軍家の御物表具に金襴がふんだんに使われたのは,絢爛豪華な障壁画にふさわしい表具裂(衣装)であったからです。

書院を意識したものには豪華な表具。草庵茶室の場合は聚楽壁にふさわしい表具ということになり,金襴よりは緞子あるいは紋海気が使われます。

また,掛物は表具によって,その掛物を掛けるにふさわしい「場」というものがあります。掛物を所有する人は,自分の書院あるいは茶室の床の間を念頭に置き,その「場」で掛けることで最上となるような表具を選ぶことが大切です。

余談になりますが,書院のものを草庵へ持ち込むことは許されますが,その反対は許されません。位の高いものを低い方へ持っていくことはできても,位の低いものを高い方へもっていくことはできないのです。

(d) 表具と茶の湯の世界

(d) 表具と茶の湯の世界

茶の湯と掛物は切っても切れない関係にあります。その嚆矢(こうし)は書院から草庵へという建築様式の展開にあり,茶会を統一する雰囲気づくりを担ったのは,茶室の床の間の掛物でした。ついには床の間を掛物に合わせるという発想まで誕生し,室礼の主役の座につきます。さらには茶人の洗練された感覚によって,ますます掛物そのものにも磨きがかかり,数寄者の美意識の凝縮ともいうべき好み表具を生むこととなりました。

そのなかから「利休好み」「織部好み」「公家表具」をご紹介いたします。

「利休好み」

千利休が創造した茶室とは「花をのみまつらむ人に山里の雪間の草の春をみせはや」(藤原家隆)を侘びの心とし,一畳半や二畳の空間には,床の間の軸と花以外の装飾はすべて排したものです。

簡素かつ洗練————……まさに利休自身の美の世界を具現したものであります。

茶掛には特に一行ものの墨蹟が好まれ,本紙の語るところに心を集中させるための妨げにならぬよう,表具は本紙を生かすことを旨とします。

「似たる色相にてネムリメに心得て取合ル事数奇の命」とも言われ,狭い草庵茶室にふさわしい墨と紙の簡素な色調の墨蹟・歌切・色紙を主とし,壁床に掛けられる掛物は目に映りの穏やかな表具によって諧調が保たれます。

なかでも利休が好んだ表具の様式は,

「上下および中縁ともに薄浅黄のシケ絹,一文字・風帯はホソズルの古金襴で色は紺地,軸は象牙にしろ唐木にしろ撥軸」でした。

「織部好み」

「懸物表具の次第、根本は官位の将来をまないたるものなり。表具の心持ちすべて紙のうちにあり」(作湯方目録)とあるように,織部は,本紙を書いた人の官位によって表具は決まると考えていました。

いっぽう,茶席においては茶の湯を第一とし,茶掛には茶掛にふさわしい掛物があり,仏祖を第一とする仏表具を「数奇屋ニ不出也」として嫌いました。 

また個性的な裂などを生みだした織部は,優れたデザイナーとしての一面も持ち合わせ,墨蹟表具や侘び表具についても定まった法はないと考えました。茶掛には独創性が大切と考え,特に「織部紗」ともいわれる紺地の金襴で中縁に紫地印金を好み,それを用いるのが織部の独創性と考えられています。

「公家表具」

 表具するさい,属する世界によって,それぞれ重要視される裂が異なります。

  1. 僧侶や武家の表具は金紗・銀紗・金襴・印金。
  2. 茶人の表具は無地の平絹・緞子・絓・具引きの紙。
  3. 宮廷貴族の表具は錦・唐縫・金緞・モール。
  4. 宸翰(しんかん/※1)の表具は表具裂の取り合わせに必ず白地の金襴または金紗。

宸翰表具が白色表具とも呼ばれていたのは,そのためです。他の部分についても,金襴・錦・唐縫など最も豪華なものが用いられました。

(※1)宸翰…天皇の書いた書翰類,歌切などの総称


表具の作業風景(於:宇佐美修徳堂)